三国一の同行の
浄土真宗とは似ても似つかぬことを平気で語る無茶苦茶な言動は
満堂の不評を買い、ついに
親鸞会の先生の出馬を惹起するに到った。
真実の利剣は快刀乱魔、私達の憤りともどかしさに腹だちいらだつ、
どうしようにもならなかった心を一掃するが如く熱弁につぐ熱弁、
大獅子吼がはじまった。
満堂の大衆は食い入る様にむさぼり聞き、ざわめいていた広間が一瞬にして緊張し、
各部屋にいた同行も殆んど参集、一心に聞きいった。
他力信心の水際
雑行とは諸善万行(
六波羅蜜)
善業によって助かろうと思う心で
行そのものが悪いのではなく、それによって助かろうとする心が悪いため、
その行までも嫌われること。
雑修とは五正行をならべ修すること、五正行自体が悪いのではなく、
これを行った功徳をもって助かろうとする心だからすてよ。
自力とは聞法心ということ、雑行、雑修の心を経て聞法するが、
聞いたら何とかなれると思って進む心も
自力だと数ある質問に
皆が合点ゆくまで
他力信心の水際をズバリ水ももらさぬが如く明らかにきれた。
頭のテッペンから足のツマ先まで
地獄行き間違いないこの私が救われた教え、
真実の真宗はこれだと額に汗しての大獅子吼は
真剣にむさぼり聞く大衆とピッタリ合い雰囲気は最高潮に達した。
破邪顕正の灯炬たれ
濁りきった水ばかり飲まされ、真実に飢えた満堂の大衆はむさぼるが如く聞き入り、
拍手の嵐がまき起った。
真実の弥陀の本願を体認された自信溢れる善知識の言葉に驚嘆と讃同の声が湧き上った。
この様にして所期の目的、破邪顕正は成功のうちにおさめ、
終りにいえることは、廃れたとはいえ、
まだ数多い真宗の信者に真実の教を伝えなければならないということである。
もとより破邪顕正を旨とする
親鸞会はいよいよ広く深く真実を明し、
世の人々の灯炬とならなければならない。