というトルストイの一訓を私の信条として、毎日を自由に、青年団活動に、職場生活にと若いエネルギーを燃やしておりました。
その日その日を後悔なく送ったら、それで幸福だ、自分は後悔等していないと常に思い、
またその為にやりたい事、欲しいと思うものは次々と行動にうつしてゆき、
そんな自分は本当に幸福だと思っていたのです。
しかしそうした楽しみの中に時々どうしようもない、非常な
寂しさが自分の心にあることに気づいたのです。
それは力一杯、若い生命をぶつけ、楽しんだ後に必ず起きてくる、あの表現できない
虚しい心でした。
こんな心がどうして起きてくるのか、いくら追究し考えても判らず、それをごまかす為により以上の楽しみを求め、なお一層のわびしさを感じてくる。
そんな心の矛盾を常に持ちながら、毎日を後悔を後悔とも知らず、幸福でないものを幸福につくり上げて生きていたのです。
そしてこの心に少し聞いてみようという気が起き、その場で親鸞学徒にならせて頂きました。
それから月日が流れて約三ヶ月すぎた三月の初旬、何となく本部会館へ行ってみたいという期待をもって車を親鸞会館へ走らせました。
すでに法座は始まっており、車をおりると同時に何か心をひきつける様なひびきのある声が私の耳にとうとうと流れてきたのです。
そして一目先生のお姿を拝した時
「ああ、この方が絶対の体験をなされた方なのか」
と思うと同時に、素晴しさ、尊さにうたれ、この方にこそ私はついてゆこうと決意したのです。
「幸福とは後悔のない満足である」
という一訓も後生の一大事の解決をせずしてはありえない。
いくら追究し考えても判らなかった、歓楽尽きて哀情多しの原因もすべて
無常から生ずるものだと知らされ、なんとしてでもこの後生の解決をしなければと思い必死になって求め出したのです。
それまで活動してきた青年団の団長もきっぱりやめ、
聴聞に、会合に教学にと忙しい日々が続きました。
「仏法を聞くのはよいが、そんなに凝るものではない」
と次第に止めにかかり、青年団や村の人がらも色々非難される私でした。
それを当時の知りうる限りで破邪するのでしたが、少しも判ってもらえず、それどころか、その強い反対に押し流されそうになる私でした。
そんな時ふっと思い出されたのが三年程前に味わわされた体験でした。
胃腸病で三ヶ月、肝臓を悪くして二週間、そしてその年末に交通事故で約半月という病院生活を通して知らされた、あの何ともいえない淋しくつらかった
死の恐怖
「今この白壁の中でこうしている間に一息切れたら、一体自分はどうなるのだろう。
死という一瞬の中に手足も心臓も頭も動かなくなってしまう。
そして棺に納められて葬式され、火葬場でやかれて一末の灰になる。
それから後は自分が本当にどこへゆくのだろう全く判らない。
ただ暗黒の未知の世界へいやおうなしに、すい込まれていく様な何とも言い様のない恐しさ、この死の前ではどんなに濃い血のつながりをもつ家族も、どんなに親しくして来た友情も、金も地位も名誉もすべて何の値もなくなってしまう。
自分の後生の解決には全く無関係なものばかりである」
ここまで考えた時、自分のそれまでの生き方、又これから進まんとする人生に大きな疑問を感じたと同時に、生きる事に対する執着がより強くわき立ったあの体験。
この事を思う時「オイ!お前、そんな人の非難位に負けていてどうする、そんな事でお前の後生が解決できるとでもいうのか、また病気になったらどうする、お前は死なぬとでもいうのか!!。
今度入院したらお前は死ぬかも知れないぞ」
とひるむ自分の心を叱り
「お前の人生は唯一つ、この後生の一大事を解決する以外にはないのだ。
たとえ迷える者から何を言われようとも、
また自分に何が起ころうとも絶対に求め抜かねばならないのだ」
と立ち直るのでした。
かつて求法太子が
『今までは欲と瞋りの為に命を捨てて来たが、今度だけは真実の為に死なせてくれ』
と真実に命をかけていかれた様に、この私も無始よりこのかた、
欲望にだまされ、
怒りで狂い
愚痴で身を亡ぼしてきたこの体、この青春を真実仏法の為に賭けるぞ!!」
と一層強く心に誓うのでした。
幸いにも私は、絶対無二の善知識、
親鸞聖人を師として仰ぐことができ、世界最高の教え、親鸞学徒の一員になることができました。
自分のまわりには素晴しい法の友が満ちあふれている。
この恵まれた条件の中にあって、一日も早く、この後生の一大事を解決せんものと心新たに、人生究極の目的である絶対の幸福を目ざして驀進し、少しでも有縁の方々に伝えたいと思い、ここに
親鸞聖人の教えに生涯をかける決意致しました。
男が一度志を立てたからには、私の前途にどんな嵐が待っていようとも、それから一歩たりとも後退することなく突き進む覚悟です。
“世の嵐
いくらでも吹けこの身にも
いくら吹いても真に敵なし”