昭和37年3月創価学会との対決時には相手が暴力宗教故、万一先生に危い事でもしかけたら女でも身をもって御楯にと覚悟したものですが、彼等は法論に負けて頭が七つに割れるぞと茶の給仕をしていた私にまで捨てぜりふを残して帰りました。
頭が七つに割れるどころか親鸞会は益々栄えて来ました。
41年7月には立派な滋賀会館も落成し、青年部も結成以来どんどん増えて一千名突破し、各地にたくさんの会館が建立されました。
参列した私は嬉し涙がこぼれました。
私は岐阜へ引っ越しましたが、岐阜でもたくさんの
浄土真宗の法話がなされ、支部にも熱心な学徒方ができて、全く
阿弥陀如来の転法輪の御縁の有難さを身にしみております。
世にたぐいなき善知識、昭和、平成、令和の濁世に還相遊ばした
親鸞聖人と信じて疑いない親鸞会の先生のご教導を仰ぐ親鸞会です。
一般部も青年部も一致協力して真実の
仏教の為に破邪顕正、
浄土真宗の隆盛に努力せねばなりません。
私も年老いて何の御役にも立たなくなりましたが、元気な青年部の方々を力に命ある限りは私の立場で、少しでも御手伝をさせて頂きたいものと念願致しております。