胃ガンで死刑の宣告を受け、始めて後生が心配になり、
必堕無間
生れてから今日まで造悪の連続で、生きる為には仕方がないと
勝手な庇理屈を並べて
殺生の限りをつくして来ながら、
深信因果の仏説も疑うて未来を否定し、
一日として
懺悔念仏した経験もないあなたの後生は
必堕無間の仏説の通り
無間地獄です。
かく申しますと貴方の心の隅に
「だがお
慈悲な阿弥陀さまだから、
そこのところを足らぬところは足してでもなんとかして下さるだろう」
という望みがあるでしよう。
自力疑心の逃げ場所は最後の牙城をそこに求めるのです。
その牙城を破らなくては真実の親には遇えません。
あなたの今最も知りたいことは
阿弥陀如来をタノメと仰言るが
どうタノメばよいのか、どう信ずればよいのか、という一点でしょう。
タノム一念
実にこの弥陀タノム一念こそ、
求道者の最後に必ず打ちあたる難関であり、
世界の五大難行といわれる真言アジャリの
修行よりも、
禅の坐禅観法よりも
一代諸教の信よりも難しいところで、
三世の諸仏と雖も、この一念が越せねば成仏はできません。
行く先真暗
昔インドのある婦人が主人に死なれて次は私の番だと知らされ、
今一息切れたらどうなるのだろうかと思うと行き先真暗がり。
愛児をかかえて途方にくれていた時、
ブッダのことを教えてくれた人があったので早速
ブッダの御許へ急いだのですが
途中濁流渦巻く大河に突き当ってしまった。
婦人は刻々と迫る
無常を感じながらもどうすることも出来ずジリジリしていた。
と忽然そこへ一艘の舟が現われ船頭が言葉をかけた。
「あなたはこの河を渡りたいのでしょうこの舟に乗りなさい。渡してあげましょう。
ただし一切の荷物はお断りします」
婦人は大変喜んで早速舟に乗ろうとすると船頭は
「あなたの背中には子供という大きな荷物がある。
その荷物がある限り渡すことは出来ません」
それを聞いた婦人は
「この子までが邪まになるのか、
しかしこの子は主人のかたみ私の命ですから捨てられません。
どうかこのまま渡して下され」
と哀願しますが船頭は頑として拒絶しました。
婦人は我身の一大事と可愛いい子供のことを真剣に考え
身もだえして苦しみました。
子供を捨てる藪はあれども
…が子供は捨てる藪はあれど我身を捨てる藪のないことを知らされ
可愛いい子供も我身の後生の一大事にはかえられないと決心して
濁流の中へ我子を投げ捨てて舟に乗り
ブッダの元へ着いたところ
ブッダの御袖の下から先刻すてた愛児が
ニコニコ笑って現われたという話があります。
どうタノメばよいのか、どう信ずればよいのかどう思えばよいのか、
これらの心はみんな可愛いい子供です。
弥陀も捨てよ、念仏も捨てよ、捨てようとする心も捨てねばなりません。
一切が
自力のはからいだからです。
刻々と迫る死におののきながらも尚生きんとする意志の衝動に燃えて
五欲の蜂密を求めて走ってゆく。
一息一息が死の影だ
藤ヅルはすでに寸断されているのに、
まだそんなつまらぬ事を考えている。
阿弥陀如来はその浅間しいあなたの根性を見ぬいて
一念一刹那も休む間もなく大悲の涙を流したもうているのです。
正直になって来いというのが
神です。
善人になって来いというのが諸仏です。
極悪人めあてに救うぞというのは阿弥陀仏だけです。
こんな仏は法界広しといえども絶対にありません。
一息一息が死の影に襲われているあなただ。
今更何ができよう心なき犬畜生でさえ家の大事となれば命を捨てます。
三千世界におき場もない罪業を持ちながら、
しかも臨終を眼前に迎えながら、
尚もキョロンポカンとしているあなたの心は死んでいます。
三世の諸仏もアキレて逃げたのはその根性です。
いつまでもグズグズ、考えている余裕がありませんぞ。
三千世界の火の中もふみ破って来いと仰せられる仏説が判りませんか。
南無阿弥陀仏。
(まだまだ長文でしたが紙数の関係上割愛致しました)