親鸞聖人ゆかりの地、稲田の御草庵、板敷山、二十四輩の遺跡、その他潮来、日光等五泊六日の旅を全員無事楽しく終えた。
感激は今も消えず
にこやかなバスガイドさんに迎えられて車中の人となった参加社の表情はもう関東へ飛んでいるかのようだった。
ガイドさんの名調子に耳を傾けている内に親知らず子知らずの難所を通過、車窓に目をとられつつ、いつからともなくバスの中に、シットリと美声が流れた。
会長先生の「夢は夜ひらく」であった。
車中の空気は陶酔の渦に巻き込まれ、皆が幸福感に充ち溢れているうちに戸倉温泉「亀屋ホテル」に着いた。
暖かい湯に旅の疲れをいやした一同は、会長先生を囲む和やかな会食に舌づつみをうった。
翌日は南アルプスの谷間をくぐり抜け、いよいよ関東への旅立ちだ。
早くも車中は次々と流れでる軽やかなメロデイで、この日の空のように晴れ渡っていた。
碓氷峠の急カーブを一八四とすぎるうちに前橋に着いた。
釜飯で昼食を済ませた後、航空隊におられた懐かしの地、筑波飛行場とお寺を訪ねた。
飛行場は滑走路と格納庫の一部を残し、後は松林と草原に化していた。
その中を先生は昔の記憶をたどってあるお
寺を必死に捜し回られた。
というのも先生がこの飛行場におられた時、命がけで面会にこられたご両親と夜中に密会されたのがその寺だからである。
その時、大変お世話になったお礼を言われる為であった。
仔細を聞いた一同は、受けた御恩を決して忘れられない高い人格に深く感動した。
6時頃、大洗パークホテルに着き、降り出した雨に静かな旅情を楽しんだ。
翌日の空はきれいに晴れ上り、いよいよ此の旅行の目的である稲田の御草庵、板敷山、二十四輩の遺跡巡りだ。
まず上宮寺に明法房と生れ変った
弁円の面影をしのび次いで日野左衛門の枕石寺、
河田の平次(
唯円)の報仏寺と聖人のお弟子の御苦労をたづねた。
午後は聖人が二十年間滞在し『
教行信証』をお書きになった最大の御旧跡稲田の草庵、両側に茂る杉並木の奥の草庵にお詣りした時の一同の感激はひとしおであった。
「この稲田御坊の老木の並木道を聖人は衆生済度に方々へ御足を運ばれたのかと思うと御姿が目に浮ぶようだ。
あの門をくぐられた時は、聖人が久しぶりに懐しいお住いをお訪ねなされたように思われた」
「墨染の衣にわらじをはかれた聖人が満面に笑みを浮べて今にも出てこられるような錯覚を覚えた」
とそれぞれに感無量で語っていた。
懐しい板敷山を後に、アヤメの美しい潮来に着いた。
ホテルでの話題は今日の感激の数々である。
四日目は日光へ向った。
東照宮は当時の民衆の血みどろの金をしぼりとって作った徳川家康のいわば
墓である。
陽明門をはじめ一つ一つの建物、彫刻は確かに美しかったが、当時の民衆のうめき声が聞えてくる。
どんな立派な墓を作っても
極楽へは行けないのだが………
日光を後にした一同は、鬼怒川温泉、草津温泉で宿をとりながら、大自然に美味しい空気を求めて、華厳の滝、中禅寺湖、鬼押出(百八十年前浅間山噴火の残骸)標高二千数百メートルの白根山、志賀高原へとバスを走らせ、高岡へと向った。
鬼怒川温泉では運転手さん、ガイドさんを交え、酒に歌に酔いしれ、草津温泉では留守をあづかる会館常住者からの心暖まる手紙の披露と親鸞会ならではのハプニングもあった。
帰路のバスの中、如来聖人の御加護と幹事様の並々ならぬ御心労に深く感謝して六日間の思い出話に花が咲いた。
待ちこがれた関東の旅もただうたかたの如く流れてしまったが、皆の心にいつまでも強く大きく広がるのは、先生の歌っておられる時も、飲んでおられる時も、絶えずなされていた一つ一つの尊い身業説法であった。
今度の旅行を通じて皆は生涯忘れる事のできない尊い体験をされた事であろう。
最後に全員無事本部会館に着いた。