(人)を信じる信じ方に二通りある。
一つはあの人はだます様な人ではないという浅い信じ方で、
もしだまされた時は必ず後悔が起きる。
他の一つは親鸞聖人が
「たとえ、法然上人にだまされて地獄に堕ちても後悔はしない」
という
法然上人に対する信じ方でこれ以上の深い信じ方はない。
果して自分が善知識をどこまで信じているだろうかと反省しなければならない。
自分に都合のいい事は信じ、悪い事は信じない。
ここまでは信じられてもこれ以上は信じられないという所で線を張る。
こんな信じ方をしているからいつまで経っても
信心決定出来ないのだといわれる。
もし善知識が
「今、死になさい」
と仰言られても
「ハイ」
と言って死ねるであろうか。
かつて
蓮如上人が
道宗に
琵琶湖を一人して埋めよと仰せられて
道宗は
「かしこまりました」
と答えている。
善知識はできないことを仰言るのではない。
この道宗の決意で
聴聞せねはならないと言われます。
親鸞聖人のように、
善知識のお言葉を心の底から信じられるまで
浄土真宗の法話の聴聞に命をかける決心です。