親鸞会で、いつも
浄土真宗の御法話を
聴聞させて頂いている者でございますが
十九願の
念仏、二十願の
念仏、十八願の
念仏というお言葉をよく聞きますが、
これはどういうことでしょうか。
御教え下さい。お願い申し上げます。
先ず十九願の
念仏といいますのは
詳しくは十九願の心で称えている人の
念仏ということです。
十九の願といいますのは
因果の道理を深信して諸々の善根功徳を修めよ救う
と誓われたものですから、修諸功徳の願ともいわれます。
この願を信じて
念仏の功徳を他の諸
善の功徳と同等に思って
称え修している人の
念仏をいうのです。
親孝行もしているし、人に
親切もしているし、
念仏も称えているから死んでも悪い処へはゆかんじゃろうと信じて
南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏と称えている人の
念仏をいうのです。
これを万行随一の
念仏ともいいます。
次に二十願の
念仏といいますのは、
これも二十願の心で称えている
念仏ということです。
二十願とは植諸徳本の願といわれ、諸々の徳本を植えよ救うという誓いです。
徳本とは親鸞聖人は「善本徳本は弥陀の名号なり」と仰せられていますように
一切の功徳の本である名号を称えよということです。
ですから他の一切の諸
善よりも、はるかに勝れた功徳があるのが
念仏だと信じて
念仏一行に励んでいる人の
念仏を二十願の
念仏というのです。
これを万行超過の
念仏ともいいます。
これらに対して十八願の
念仏といいますものは
十八願の心で称えている
念仏です。
十八願は至心信楽の願といいまして
平生の時信ずる一念で晴れて大満足に救うという弥陀の誓いです。
これこそ弥陀の本願といわれる誓願です。
この本願によって救われた者は、
仏恩の深重なることを知らされ
念仏称えずにおれなくなります。
こんな
不思議な御本願とは知らなんだ。
この身に救うて下された如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべしの
喜びが
念仏となって湧き出て下されるのです。
これは全く御恩報謝の心一杯の
念仏です。
これを十八願の
念仏といい、
また自然法爾の
念仏ともいいます。
この自然法爾の十八願の
念仏称える身に
一日も早くなってくれよとお勧め下されたのが
親鸞聖人や覚如上人や
蓮如上人方なのです。
念仏はただ称えてさえおればよいのではありません。
その心こそ大切であることをよくよく了解して頂きたいと思います。