高校を卒業した私は、華やかな実社会へと憧れて商社へと入社致しました。
けれどもその仕事の内容は、たとえ女子といえども責任の伴なった重要なもので辛く忙しい毎日でした。
また理想とは、余りにもかけ離れて、競争意識のみが、浮き彫りになっている現実に私の夢はもろくも破れ、とても勤まらないと泣いた日も一度や二度ではありませんでした。
しかし仕事は辛い代りに、それなりの給料がもらえ、いつしかお金にだまされて海に、山にと遊ぶことの面白さを知り、仕事の苦痛も忘れ、これが青春だと思って謳歌していたのです。
そんな私が、やがていつの日かの
結婚を夢みて、けい古ごとに精を出し始めたのです。
そこで洋裁の先生が、立正佼成会の信者で、執拗に入信することを勧めるのでありました。
右も左も判らない私のことです。
何か良い事が、あるかも知れないと思って、深く考えることもなく入会したのであります。
聞き慣れぬ「南無妙法蓮華経」と唱えるあの題目が、何とも言えず、気味悪くたまらない思いで一杯でした。
丁度そんな時、同じくして、近くの親鸞学徒の方より浄土真宗親鸞会のあることを聞かされ会館で
親鸞聖人の降誕会が催されるから、一諸に行かないかと誘って頂きました。
今にして思えばそれが、
阿弥陀如来の念力に押し出されていたのですが、私にはそれが判らず、浮かぬ心でついて行きました。
行ってみて驚いたことは、余りにも沢山の青年男女がおり、今だかって一度も聞いたことのない大熱弁の弁論大会が、繰り広げられていたことでありました。
こんなに若い人達が何の為にと、その光景に私の心は、大きくひきつけられて行ったのです。
そんな自分に気が付いた時、私は立正佼成会の会員だということが、大変な間違いであると感じられ、
悪口雑言を言われながらもそこをやめずにはおれなかったのです。
そうして一度聞いた真実の言葉は、私の心の底から消ゆることなく、親鸞学徒にならせて頂きました。
それからしばらく経ったある日親鸞会の先生と接する御縁に恵まれたのです。
その時私は日頃より「愛」について知りたく思っておりましたので、
「愛は永遠のものでしょうか」
と尋ねずにはおれなかったのです。
それに対して先生は
「永遠の愛などありません。
どんなに烈しい愛も必ず変り、この世の一切のものは
無常です」
と断言なされたのですが、私はそのお言葉に強い反発を覚えると同時に又、今まで抱いていた「
愛」というものにも大きな疑間が涌いて来ました。
それでもなおそんな筈はない、私は、きっと永遠に咲く愛をつかんでみせると、その愛にすべてを賭けようと決心したのです。
そして次第に
仏教からも遠ざかっていき、この心はいつ迄も変らないものと信じて、夢を追いかけて行ったのです。
しかし悲しいかな!
燃え上がる炎は、一時の感情でしかないとはっきり知らされる時が来たのです。
あんなに愛していた私の心はどこへ行ってしまったのか!
探しても探してもその愛は甦っては来なかった。
愛をなくした私の心の
寂しさはどうしようもなく乱れた心の中に変わりやすい愚かな自分を見せつけられて、こんなにも変る心を持って永遠の愛を求めていたのか。
何と一番頼りにしていた私の心こそ無常そのものであったのです。
「この世の一切のものは無常だ」
と
諸行無常を教えて下さった
ブッダのお言葉を今ここに強く深く噛みしめずにはおれませんでした。
無常のこの心を解決して、変りゆくはかない世の中で、絶対に変らない大安心、大満足の身になることが、私の生きる唯一の
生きる意味であるとはっきり知らされ、二度と帰らないこの青春を真実の仏法に賭けようと決意したのであります。
ところが、それを知った母は、強くひきとめるのでした。
幼い時父を亡くして、母一人の手で育ててくれ、今ようやくにして人並に結婚してくれるものと思っていた矢先、
「何ということを言ってくれるのか」
と母の涙をもっての反対は、大変なものでした。
ともすればその母の涙に決意もくずれそうになる私でありました。
しかし親不孝の限りを尽して来た私だからこそ、今こそこの御恩ある母に報いる為にも真実の仏法を聞かなければならないと思い、何回も頼むと、仏法の道へ進ませる事が娘の幸福と考えてか、最後に母は、随行を許してくれました。
そんな母の気持を思う時、何としても一日も早く、絶対の幸福の身になって、この真実のみ教えをまっ先に母に聞いてもらい、そして母の涙に、
親鸞聖人の涙に、いやそれ以上に
阿弥陀如来の血の涙に応えなければならないと心新たに感ぜずにはおれません。
「人身受け難し、今已に受く、仏法聞き難し、今已に聞く」
この喜びを胸に多生にも遇うことのないこの恵まれた仏縁の中で、
今こそ人生究極の
生きる意味に向かって、達成の暁まで、力弱き私ではありますが全力を傾注して頑張って行く覚悟であります。